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医療法人理秀会
なんば南藤吉医院は、「えべっさん」で有名な今宮戎神社や難波木津市場を擁する古くから栄えた地域にあります。
初代院長
藤吉敏雄が大正時代に浪速区(当時の南区木津鴎町)において「藤吉医院」を開院して以来、三代にわたり「かかりつけ医として信頼していただける医療」を心がけてまいりました。
何代にも渡り受け継いだ医療という仕事、その志しを大切にし、これからも地域の皆様方が安心して健やかな日々を送っていただけます様に、家庭医として総合的な地域医療の実現に向けて努力してまいります。
何代にも渡りこの浪速の地で「かかりつけ医として信頼される医療」に貢献されてきたなんば南藤吉医院で働かせてい頂くことに誇りと共に責任の重さを感じています。
ホスピタリティーを信条に笑顔をもって、患者様の笑顔が私たちスタッフの笑顔に、私共の笑顔が患者様の笑顔にと、地域に愛される医院を目標に医療に携わっていきたいと思います。
福岡をルーツにもつ、藤吉医院。
藤吉医院の歴史についてたどりました。
祖父母は福岡県出身で祖母の実家は黒田藩に仕えた医院であったとのことです。
大正7年 | 祖父 藤吉敏雄が大阪市南区木津鴎町に藤吉医院開院 |
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大正10年2月7日 | 祖父 藤吉敏雄が敷津小学校学校医嘱託 |
祖父は校医の大先輩。
ある時、校医をしている敷津小学校の古い資料を見ていると祖父が大正時代に初代の校医をしていたことがわかりました。(写真左)父は大国小学校、木津中学の校医をしており、三代にわたり地域の子供達の健康管理に携わらせていただいています。
(写真をクリックすると大きくなります)
昭和20年 | 大空襲にて焼失、廃院 |
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昭和29年 | 父 藤吉士郎が現在の戎本町で藤吉医院開院 |
昭和30年代 | スクーターにて往診(下写真右) |
スクーターで颯爽と登場?
医院前で父に抱かれているのは私です。休みの日や夜間も急患で出かけて行く父を見て大変な仕事
だなあと思っていました。
今、古い患者さんから祖父が人力車で往診していた話や私の知らない父の仕事ぶりをきくと嬉しくなります。
平成2 年 | 藤吉理夫が継承 |
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平成10年 | 医療法人藤吉医院 設立 |
平成17年7月 | なんば南藤吉医院 開設(敷津西) |
平成20年3月 | 法人名を医療法人理秀会に変更 |
平成21年10月 | 戎本町の藤吉医院を在宅支援診療所として ふじよし在宅クリニックに名称変更 |
平成25年9月 | 体制の強化と活性化をはかるため、ふじよし在宅クリニックをなんば南藤吉医院に統合 |
待合室
少しでも気持ちよく過ごしていただけるよう、季節の花や絵を飾っています。
受付カウンター
大きな木のカウンターが特徴です。
何でもお気軽にお尋ね下さい。
トイレ
常に清潔なトイレを心がけています。
第1診察室
受付カウンターと同じく、温かみのある木の机で患者さんをお迎えします。
第2診察室
婦人科外来、エコー検査、栄養相談をおこなっています。
点滴・検査室
点滴や心電図、採血などでご利用いただく部屋です。
X線検査室
着替え用の清潔なTシャツを用意しています。
感染症診察室
院内感染予防のため発熱外来はこちらでおこなっています。
マッサージ施術
予約優先でおこなっています。
昭和59年3月 | 富山医科薬科大学(現 富山大学)医学部卒業 |
昭和59年4月~12月 | 大阪大学医学部第一外科にて研修 |
昭和60年1月~ 昭和63年6月 |
紀南総合病院外科、心臓血管外科に勤務 |
昭和63年7月~ 平成2年8月 |
大阪大学医学部第一外科に勤務 |
平成2年9月 | 藤吉医院 院長に就任 |
平成10年1月 | 医療法人藤吉医院 理事長に就任 |
平成20年3月 | 医療法人理秀会 理事長に就任 |
日本臨床内科医会認定医 大阪府内科医会指導医 日本外科学会認定医
日本慢性期医療協会「在宅医療認定医」 大阪警察病院緩和ケア研修会終了、認定産業医
昭和51年3月 | 北里大学医学部卒業 |
昭和51年4月~ 昭和52年10月 |
奈良県立医科大学第二内科にて研修 |
昭和52年10月~ 昭和57年9月 |
日本生命済生会付属日生病院第一内科に勤務 |
昭和57年10月~ 昭和62年9月 |
大阪府済生会泉尾病院内科に勤務 |
昭和62年10月 | 西平診療所 就職 |
平成17年6月~ 令和6年8月 |
なんば南藤吉医院 院長 |
日本内科学会認定総合内科専門医、認定産業医
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